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千葉地方裁判所 昭和29年(ワ)169号 判決

判決

千葉県市川市真間町二丁目七四九番地

原告

西 村 辰 元

右訴訟代理人弁護士

江 川 六 兵 衛

平 井 博 也

東京都千代田区

被告

右代表者法務大臣

植 木 甲 子 郎

右指定代理人千葉県事務吏員

江 口 禎 一

農林事務官

田 中 瑞 穂

千葉県市川市北方町三丁目六三四番地

被告

吉 野   績

(外五名)

右被告七名訴訟代理人弁護士

日 上 一 郎

右原告西村辰元、被告国間の昭和二九年(行)第九号土地所有権無効確認等請求事件、並びに、原告西村辰元、被告吉野績、同松丸藤松、同監物正三郎、同松丸武久、同河野はつ、同石井俊雄間の昭和二九年(ワ)第一六九号土地所有権無効確認等請求事件につき、当裁判所は次の通り判決する。

主文

一、別紙物件目録記載の各土地につき、被告国から被告国同河野はつを除くその余の被告五名及び訴外亡河野留吉に対してなした交換替地による所有権議渡処分の無効確認を第一次的に求める原告の訴を却下する。

二、原告及び被告国との間において、訴外千葉県知事が別紙物件目録記載の各土地につき、昭和二五年二月二八日訴外西村政二郎に対してなした同二二年七月二日を買収の時期とする買収処分は無効なることを確認する。

三、原告及び被告吉野績の間において、別紙物件目録(イ)の土地は原告の所有なることを、原告及び被告松丸藤松の間において、別紙物件目録(ロ)の土地は、原告の所有なることを、原告及び被告監物正三郎間において、別紙物件目録(ハ)の土地は原告の所有なることを、原告及び被告松丸武久間において別紙物件目録(ニ)の土地は原告の所有なることを、原告及び被告河野はつ間において、別紙物件目録(ホ)の土地は原告の所有なることを、原告及び被告石井俊雄の間において別紙物件目録(ヘ)の土地は原告の所有なることを、

それぞれ確認する。

四、原告に対し、

(1)被告吉野績は別紙物件目録(イ)の土地につき、千葉地方法務局市川出張所昭和二五年六月一六日受付第三〇七二号並びに昭和三四年一月二四日受付第七九二号(嘱託錯誤に基く更正付記登記)を以てなした昭和二三年七月二日付自創法第二三条に基く交換替地による所有権取得登記

(2)被告松丸藤松は別紙物件目録(ロ)の土地につき、同出張所昭和二五年六月一六日受付第三〇七七号並に昭和三四年一月二四日受付第七九六号(嘱託錯誤に基く更正付記登記)を以つてなした、昭和二三年七月二日付自創法第二三号に基く交換替地による所有権取得登記

(3)被告監物正三郎は別紙物件目録(ハ)の土地につき同出張所昭和二五年六月一六日受付第三〇七二号並に昭和三四年一月二四日受付第七九三号(嘱託錯誤に基く更正付記登記)を以つてなした昭和二三年一〇月二日付自創法第二三条に基づく交換替地による所有権取得登記

(4)被告松丸武久は別紙物件目録(ニ)の土地につき、同出張所昭和二五年六月一六日受付第三〇七五号並に昭和三四年一月二四日受付第七九四号(嘱託錯誤に基づく更正付記登記)を以つてなした昭和二三年七月二日付自創法第二三条に基づく交換替地による所有権取得登記

(5)被告石井俊雄は別紙物件目録(ヘ)の土地につき、同出張所昭和二五年六月一六日受付第三〇七二号並に昭和三四年一月二四日受付第七九一号(嘱託錯誤に基く更正付記登記)を以つてなした昭和二三年一〇月二日付自創法第二三条に基づく交換替地による所有権有権取得登記

(6)被告河野はつは別紙物件目録(ホ)の土地につき、同出張所昭和三四年二月九日受付第一五七八号を以つてなした、昭和三三年一二月八日付相続による所有権取得登記、

及び同出張所昭和三一月八月二九日受付第七四七四号を以つて訴外河野留吉のためになされた昭和一八年二〇日付家督相続による所有権取得登記並びに同出張所昭和二六年六月一六日受付第三七二一号並びに昭和三四年一月二四日受付第七九五号(嘱託錯誤に基づく更正付記登記)を以て訴外河野留吉のためなされた、昭和二四年七月二日付自創法第二三条に基づく交換替地による所有権取得登記

につき、それぞれの抹消登記手続をせよ。

五、原告に対し、

被告吉野績は別紙物件目録(イ)の土地の仮換地を、被告松丸藤松は別紙物件目録(ロ)の土地の仮換地を、被告河野はつは別紙物件目録(ホ)の土地の仮換地を、被告石井俊雄は別紙物件目録(ヘ)の土地の仮換地を、それぞれ右地上の耕作物を収去して明渡せ。

六、訴訟費用は被告等の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文第二乃至第六項同旨及び「原告及び被告国との間において被告国から(1)別紙物件目録(イ)の土地につき、昭和二三年七月二日付で被告吉野績に対してなされた交換替地による所有権譲渡処分、(2)別紙物件目録(ロ)の土地につき、昭和二三年七月二日付で被告松丸藤松に対してなされた交換替地による所有権譲渡処分、(3)別紙物件目録(ハ)の土地につき、昭和二三年一〇月二日付で被告監物正三郎に対してなされた交換替地による所有権譲渡処分、(4)別紙物件目録(ニ)の土地につき、昭和二三年七月二日付で被告松丸武久に対してなされた交換替地による所有権譲渡処分、(5)別紙物件目録(ホ)の土地につき、昭和二三年七月二日付で訴外河野留吉に対してなされた交換替地による所有権譲渡処分、(6)別紙物件目録(ヘ)の土地につき、昭和二三年一〇月二日付で被告石井俊雄に対してなされた交換替地による所有権譲渡処分は、いずれも無効なることを確認する。」との判決並びに主文第五項について仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

一、原告の先代西村辰造は、昭和一〇年三月一二日訴外松丸益雄からその所有にかかる千葉県市川市北方字浅間前八五一番地畑一反八畝七歩、同所八五四番畑一反五畝二七歩内畦畔一歩を買受けて之を所有するに至つたが、右売買に伴う所有権の移転登記は辰造の名義にせず、同人と同一戸籍内にあつて当時北米合衆国サクラメント市に滞在していた実弟西村政二郎の名義を借り、登記簿上は右政二郎名義に所有権移転登記を受けた。そしてその後右辰造は昭和一五年一〇月八日右二筆の土地を合筆して市川市北方字浅間前八五一番畑三反四畝四歩内畦畔一歩と改めたが、同月二八日更に右土地を別紙物件目録(イ)乃至(ヘ)の六筆の土地に分筆してその旨の登記を了し、昭和一八年頃からは右各土地を訴外松丸清一、同山野文作に小作耕作させ、税金も引続き右辰造が納めていたのであつて、辰造は右土地の所有者として之を使用収益し管理をしていたところ、同人は昭和二〇年三月一四日死亡したので、その家督相続人である原告が同日右別紙物件目録(イ)久至(ヘ)の各土地の所有権を家督相続により取得した。

二、ところで、訴外千葉県知事は昭和二五年二月二八日、前述の如く別紙物件目録記載の各土地の真実の所有者は原告であるにも拘らず、その登記簿上の所有名義人か訴外西村政二郎であつたところから同人に対し、右土地を自創法第三条の不在地主の所有する小作地であるとして、昭和二二年七月二日を買収の時期とする買収処分をした。

そしてその後、右買収にかかる土地のうち、被告国から(1)別紙物件目録(イ)の土地については、昭和二三年七月二日付をもつて被告吉野績に対し、(2)別紙物件目録(ロ)の土地については、昭和二三年七月二日付をもつて被告松丸藤松に対し、(3)別紙物件目録(ハ)の土地については、昭和二三年一〇月二日付をもつて被告監物正三郎に対し、(4)別紙物件目録(ニ)の土地については、昭和二三年七月二日付をもつて被告松丸武久に対し、(5)別紙物件目録(ヘ)の土地については、昭和二三年一〇月二日付をもつて被告石井俊雄に対し、(6)別紙物件目録(ホ)の土地については、昭和二四年七月二日付をもつて訴外河野留吉に対し、それぞれ自創法第二三条に基く交換替地による所有権の譲渡処分がなされた。

三、しかし右買収処分及び交換替地による所有権譲渡処分はいずれも次に述べる理由により無効である。すなわち、

(1)地元市川市農地委員会は、本件農地買収の前提である買収計画を樹立するための議事を開いたことがない。従つて本件買収すべき農地並びに買収の時期及び対価はいずれも市川市農地委員会の議決により適法に決定されたものではなく、当時の市川市農地委員会委員の一部の専断によるものであるから、本件買収処分は当然無効である。

(2)仮りに市川市農地委員会が適法に右買収計画樹立の決議をしたとしても、同委員会は右買収計画の公告及び関係書類縦覧の手続をしていないところ、右公告及び書類縦覧の手続は買収計画及び買収処分の効力が生ずるための不可欠の要件であるから、この手続を経ないでなされた本件買収処分は当然無効である。

(3)次に原告は昭和二一年五月頃外地から復員したのであるが、これより先昭和二〇年に原告先代辰造が死亡した後右原告の復員する迄及び右復員後も暫くの間は、辰造の妻である訴外西村きみが事実上本件農地を管理していたところ、右きみは自創法が施行されたことを知るや、昭和二二年初め頃当時の市川市農地委員会会長であつた被告監物正三郎を訪れ、同人に対し別紙物件目録記載の土地の登記簿上の所有者は西村政二郎になつているが、真実の所有者は原告である旨強く申入れたし、同被告も以前から右土地の真実の所有者が原告であることを熟知していたものである。従つて市川市農地委員会も当然右真実の所有者が原告であることを熟知していたものと云うべきところ、かくの如く農地委員会が真実の所有者は原告であつて登記簿上の所有名義人は真実の所有者でないことを知りながら敢て樹立した本件買収計画は当然無効であり、之に基いてなされた買収処分も又当然無効である。

(4)仮りに市川市農地委員会が当時右真実の所有者が原告であることを知らなかつたとしても、訴外西村さみは前述の通り被告監物正三郎を通じて市川市農地委員会に対し、真実の所有者が原告であることを強く申入れていたのであるから、かか場合に同委員会としては右申出のない場合と異なり、国が公権力をもつて強制的に買収する農地買収計画を樹立するに際し、国民の権利を不法に侵害しないように細心の注意を払い、真実の所有者が何人であるかにつき慎重且つ詳細に調査すべき義務があると解すべきところ、右市川市農地委員会は前記申入れを受けながら何等の調査もせず、漫然と登記簿上の所有者である西村政二郎を真実の所有者と認定して買収計画を樹立したのであるから、右買収計画には重大且つ明白な瑕疵があり当然無効と云うべく、これを前提としてなされた本件買収処分も当然無収である。

(5)又右主張が理由がないとしても、被告監物正三郎は前記(3)に述べた通り別紙物件目録記載の各土地の真実の所有者が原告であることを知りながら、本件農地買収計画樹立当時自己が市川市農地委員会会長の職にあつたことを奇貨とし、本件農地買収後は当然自己が被告国から交換替地による所有権譲渡処分を受けられることを見越して、右農地委員会の議事を主宰し、右買収計画樹立の決議に加入しているところ、かかる重大な利害関係人が加入して樹立された買収計画は当然無効であり、これに基づいてなされた本件買収処分も当然無効である。

(6)更に又別紙物件目録記載の各土地は昭和一三年一一月一九日付千葉県経済部長より第八二号をもつて市川市長に対してなされた「市川市都市計画地域指定の件」と題する通知書及び右書面添付の図面、並びに、昭和一七年五月八日内務省告示第三〇五号「市川市都市計画地域追加指定の件」と題する通知書及び添付の図面により都市計画に指定されている範囲内にあるから自創法第五条第四号による所謂買収除外地域である。従つて右土地につきなされた本件買収処分は当然無効である。

四、よつて以上いずれにしろ本件買収処分は当然無効であり、又右収処分の有効なることを前提にして被告国、同河野はつを除くその余の被告五名及び訴外河野留吉に対してなされた前記自創法第二三条に基く交換替地による所有権譲渡処分も当然無効であつて別紙物件目録記載の各土地は現に原告の所有である。しかるに、

(1)被告吉野績は別紙物件目録(イ)の土地につき、千葉地方法務局市川出張所昭和二五年六月一六日受付第三〇七二号並びに同三四年一月二四日受付第七九二号(嘱託錯誤に基く更正付記登記)を以つて、昭和二三年七月二日付自創法第二三条に基く交換替地による所有権の取得登記を、

(2)被告松丸藤松は別紙物件目録(ロ)の土地につき、同出張所昭和二五年六月一六日受付第三〇七七号並に同三四年一月二四日受付第七九六号(嘱託錯誤に基く更正付記登記)を以つて、昭和二三年七月二日付自創法第二三条に基く交換替地による所有権の取得登記を、

(3)被告監物正三郎は別紙物件目録(ハ)の土地につき、同出張所昭和二五年六月一六日受付第三〇七二号並に同三四年一月二四日受付第七九三号(嘱託錯誤に基く更正付記登記)を以つて昭和二三年一〇月二日付自創法第二三条に基く交換替地による所有権の取得登記を、

(4)被告松丸武久は別紙物件目録(ニ)の土地につき、同出張所昭和二五年六月一六日受付第三〇七五号並に同三四年一月二四日受付第七九四号(嘱託錯誤に基く更正付記登記)を以つて、昭和二三年七月二日付自創法第二三条に基く交換替地による所有権の取得登記を、

(5)被告石井俊雄は別紙物件目録(ヘ)の土地につき、同出張所昭和二五年六月一六日受付第三〇七二号並に同三四年一月二四日受付第七九一号(嘱託錯誤に基く更正付記登記)を以て昭和二三年一〇月二日付自創法第二三条に基く交換替地による所有権の取得登記を、

各経由しており、又

(6)別紙物件目録(ホ)の土地については、訴外亡河野留吉が同出張所昭和二六年六月一三日受付第三七二一号並に同三四年一月二四日受付第七九五号(嘱託錯誤に基く更正付記登記)を以つて、昭和二四年七月二日付自創法第二三条に基く交換替地による所有権の取得登記を経由し、ついで同人が死亡したので訴外亡河野与吉が、同出張所昭和三一年八月二九日受付第七四七四号を以つて、同一八年八月二〇日付家督相続による所有権の取得登記を経由したところ、更に右与吉が死亡したので、被告河野はつが同出張所昭和三四年二月九日受付第一五七八号を以つて、同三三年一二月八日付相続による所有権の取得登記を経由している。

しかし右各登記は、前述の通りいずれも実体上の権利をともなわない無効の登記であるところ、訴外河野留吉は昭和一八年八月二日死亡して訴外河野与吉が家督相続によりその権利義務を承継し、ついで右与吉は昭和三三年一二月八日死亡して被告河野はつが相続によりその権利義務を承継した。よつて被告国を除くその余の被告六名は別紙物件目録記載の各土地の所有者たる原告に対し、それぞれ右各登記の抹消登記手続をする義務がある。

五、次に本件買収処分及び交換替地による所有権譲渡処分にかかる別紙物件目録記載の各土地は、目下土地区画整理法による区画整理が施行されており、従前の土地の使用は禁止されてこれに対する仮換地の使用が許されているところ、被告吉野績は別紙物件目録(イ)の土地の仮換地を、被告松丸藤松は別紙物件目録(ロ)の土地の仮換地を、被告河野はつは別紙物件目録(ホ)の土地の仮換地を、被告石井俊雄は別紙物件目録(ヘ)の土地の仮換地を、右従前の土地の所有者たる原告に対抗し得る何等の権原もなく不法に占有し耕作している。よつて、右被告四名は原告に対し右各占有土地を、その地上に存する耕作物を収去して明渡す義務がある。

六、よつて原告は別紙物件目録記載の各土地につきなされた本件買収処分及び交換替地による所有権譲渡処分の各無効確認並びに別紙物件目録記載の各土地は主文第三項記載の通り原告の所有なることの確認を求め、又右所有権に基づき、被告国を除くその余の被告六名に対してはそれぞれ主文第四項記載の各登記の抹消登記手続を、被告吉野績、同松丸藤松、同河野はつ、同石井俊雄に対しては前記各占有土地の明渡を求める。

七、仮りに以上の主張が認められず、本件買収処分が有効であるとしても、次に述べる理由により被告監物正三郎、訴外河野留吉に対する前記交換替地による所有権の譲渡処分は当然無効であつて且つ原告はその無効確認を求める法律上の利益を有するから、予備的に同被告等に対する右交換替地による所有権の譲渡処分の無効確認及び之に基づく前記所有権取得登記の抹消登記手続を求める。すなわち、

(1)被告監物正三郎は前述の通り昭和二三年一〇月二日付交換替地により別紙物件目録(ハ)の土地の所有権を取得しており、これについて特別の利害関係を有していたところ、かかる重大な利害関係人は右交換替地の計画樹立の決議に参加することは許されない筈である。しかるに同被告は右計画の樹立に際し、当時市川市農地委員会の会長として自からその決議に加わり、之が実現に努力したのであつて、このことは公正中立であるべき農地委員就中その会長たるものの職責にもとり、権利の濫用である。よつて別紙物件目録(ハ)の土地につき、被告監物正三郎に対してなされた交換替地による所有権の譲渡処分は当然無効である。

(2)又訴外河野留吉は昭和一八年八月二日既に死亡していたにも拘らず、同二四年七月二日付で別紙物件目録(ホ)の土地につき、右死亡していた留吉に対して交換替地による所有権の譲渡処分がなされているところ、かかる行政処分は権利能力のないものに権利を与えた行政行為であり虚無人を相手方とする行政行為として当然無効である。よつて別紙物件目録(ホ)の土地につきなされた交換替地による所有権譲渡処分は当然無効である。

(3)のみならず別紙物件目録記載の各土地は、都市計画法に基づき昭和二四年三月一五日千葉県告示第一五五号及び第一五七号により売渡保留地域に指定されているところ、前記昭和二四年七月二日付で河野留吉に対してなされた交換替地処分は右告示後になされた売渡処分に準ずる処分であつて、右売渡保留地域の指定を全く無視してなされたものであるから当然無効である。

(4)ところで別紙物件目録記載の各土地は前述の通り千葉県告示第一五五号及び第一五七号により売渡保留地域に指定され、農地としての売渡は保留されているのみならず、附近は既に市川市による都市計画が着々と実施せられており近年人口の増加により住宅街となりつつありその急速な発展が予想されている。殊に右土地の周囲は殆んど全部住宅地によつて囲繞されるに至り、本件土地の南側約三分の一程度は既に市川市による一五米の市道が完成し、市内循環バスが常時運転されているのである。

以上の如き事情の下では、もはや別紙物件目録記載の土地が自作農の創設又は土地の農業上の利用の増進に無益なものとなつたことは明白であつて、農地法第八〇条第一項の「買収された農地が自作農創設又は土地の農業上の利用増進の目的に供しないのが相当」であるとの農林大臣の認定を受け得るに充分な条件を具備している。

従つて別紙物件目録記載の各土地のうち、(ハ)、(ホ)の各土地につきなされた交換替地処分の無効が確認されることにより、右土地の所有権は国に帰属し、原告は農地法第八〇条により右土地の売払の請求を農林大臣に対して求め、被買収者として買取対価をもつて売渡を受け得るから、右無効確認を求める利益を有するものである。

よつて原告は予備的に被告監物正三郎、訴外河野留吉に対してなされた右交換処分の無効及び之に基づく所有権取得登記の抹消を求める、

と述べ、

被告の主張事実中、本件買収当時別紙物件目録記載の各土地の登記簿上の所有名義人が訴外西村政二郎となつていたこと及び同人の登記簿上の住所が福島県安達郡二本松町下ノ町五九番地となつていたことは認めるが、右土地の小作人山野文作、同松丸清一の各提出した農地申告書に夫々右土地の所有者が西村政二郎となつていたとは不知、その余の事実は争うと述べ、

立証(省略)

被告等七名訴訟代理人は「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として原告の主張事実中、

市川市北方字浅間前八五一番畑一反八畝七歩、同所八五四番畑一反五畝二七歩内畦畔一歩の土地につき登記簿上昭和一〇年三月一二日訴外松丸益雄をら訴外西政二郎に対し同日付売買による所有権移転登記のなされていること、右土地がその後原告主張の如く合筆及び分筆されて別紙物件目録記載の各土地になつたこと、訴外山野文作、同松丸清一の両名が昭和一八年頃から引き続き右土地を小作していること、原告先代辰造が昭和二〇年三月一四日死亡し原告がその家督相続をしたこと、訴外千葉県知事が昭和二五年二月二八日別紙物件目録記載の各土地を西村政二郎の所有する不在地主の小作地として昭和二二年七月二日を買収の期日とする買収処分をしたこと、ついで右買収した各土地につき被告国・同河野はつを除くその余の被告五名及び訴外河野留告に対し、原告主張の通り自創法第二三条により交換替地処分による所有権の譲渡がなされ、同人等が夫々右交換替地処分に基づき、原告主張通りの各所有権取得登記を経由していること、野外河野与吉及び被告河野はつが別紙物件目録(ホ)の土地につき原告主張の如く家督相続及び相続による所有権取得登記をしていること、別紙物件目録記載の各土地が昭和一三年一一月一九日千葉県経済部長から市川市長に対してなされた「市川市都市計画地域指定の件」と題する通知書に添付された図面の都市計画地域内に所在しており、又昭和二四年三月一五日千葉県告示第一五五号により売渡保留地域に指定されたこと、訴外河野留吉が昭和一八年八月二〇日死亡して同河野与吉が家督相続をし、更に右与吉が昭和三三年一二月八日死亡して被告河野はつが之を相続したこと、別紙物件目録記載の各土地につき、目下画区整理法による区画整理が施行されており、従前の土地の使用が禁止されて仮換地の使用が許されていること、被告吉野績が別紙物件目録(イ)の土地の仮換地を、同松丸藤松が別紙物件目録(ロ)の土地の仮換地を、同河野はつが別紙物件目録(ホ)の土地の仮換地を、同石井俊雄が別紙物件目録(ヘ)の土地の仮換地をそれぞれ占有耕作していること、別紙物件目録記載の各土地の附近は土地区画整理法が施行せられ、近年住宅街となりつつある傾向の認められること、右各土地の北側に幅一一米の道路ができ、市川市北方浅間前八五一番の三乃至六の各土地の一部(北側)が右道路敷となつており、又右道路には現在市内循環バスが運転されていること、以上の事実はいずれも之を認める。

原告先代西村辰造が別紙物件目録記載の各土地の納税義務を負担していたこと、原告が昭和二一年五月頃外地から復員したこと、昭和二〇年三月右辰造が死亡して以来原告が右外地から復員して後暫くの間、辰造の妻訴外西村きみが別紙物件目録記載の各土地を管理していたことはいずれも不知、別紙物件目録記載の土地が昭和一七年五月八日付内務省告示による都市計画指定区域内にあることを除きその余の原告主張事実は争うと述べ、更に、

一、別紙物件目録記載の各土地の真実の所有者は訴外西村政二郎であつた。このことは右土地の登記簿上の所有名義人が訴外西村政二郎となつていたばかりでなく、右土地の小作人山野文作、同松丸清一から提出された農地申告書にも夫々その所有者は西村政二郎となつていたし、他方当時右土地の真実の所有者が原告であることについての主張乃至その旨記載された公簿等のなかつたところからも明白である。そして右西村政二郎の住所は登記簿上福島県安達郡二本松町下ノ町五九番地となつていて同人は市川市内に在住せず、又右各土地は前述の通り訴外山野文作・同松丸清一の小作する小作地であつたので、市川市農地委員会は右各土地を自創法第三条第一項第一号に該当するものとして、昭年二二年六月四日、その買収の時期を同年七月二日とする買収計画を樹て、同日公告して同月一〇日から同月二〇日迄関係書類を縦覧に供したところ、原告からは勿論のこと何人からも異議の申立がなかつたので、同年七月二日訴外千葉県農地委員会の承認を得て同日右買収計画は確定した。

そこで訴外千葉県知事は右買収計画に基づき買収処分をすべく西村政二郎に対する買収令書を発行し、福島県を通じて交付せんとしたが、住所不明で交付出来なかつたので、昭和二五年二月二八日右買収令書の交付に代えて千葉県報に公告した。

以上の如く訴外市川市農地委員会は適法に別紙物件目録記載の各土地につき買収計画を樹立し、その縦覧公告を経た上、之に基づき訴外千葉県知事は適法に本件買収をなしたものである。

二、次に被告監物正三郎は本件買収計画が樹立された当時訴外市川市農地委員会の会長の職にあたのではなく、単なる一農地委員に過ぎなかつたから、同被告が原告主張の如く農地委員会の議事を主宰したことは全くない。

のみならず、同被告はその後自創法第二三条の交換替地により本件土地の内別紙物件目録(ハ)の土地の所有権を取得したのみで、而かも当時右土地を小作していたわけでもなく、これについて何等の権利乃至利害関係を有していなかつたし、一方自創法第二三条の交換替地による所有権譲渡処分は本来政府が買収した農地を売渡す場合において、自作農の創設を適正に行うため特に必要に応じて行うものであるから、本件買収計画樹立の当時、被告監物が将来別紙物件目録(ハ)の土地を交換により取得できることを予期し得る筈がない。従つて同被告は、本件買収計画を樹立するについての利害関係人ではない。

三、又別紙物件目録記載の各土地は、原告の主張する通り、昭和一三年一一日一九日付千葉県経済部長から市川市長に対してなされた「市川市都市計画地域指定の件」と題する通知書に添付された図面の都市計画地域内に所在していることは認めるが、未だ自創法第五条第四号の規定による千葉県知事の指定は現実になされておらず、右指定のない以上都市計画法による都市計画地域内の農地であつてもこれを適法に買収出来るから(最高裁昭和二八年二月二〇日判決民集七巻二号一八〇頁参照)前記自創法第五条第四号に所謂買収除外地域ではない。よつてこの点に関する原告の主張は理由がない。

四、更に原告の予備的主張について、

(1)被告監物正三郎は昭和二三年一二月二日当時市川市農地委員会の会長ではなく、又同被告は別紙物件目録(ハ)の土地において自創法第二三条の規定による交換に関する計画の樹立乃至その実現に従事又は努力したことはない。

(2)又訴外河野与吉の先代河野留吉が昭和一八年八月に死亡したことは認めるが、別紙物件目録(ホ)の土地の交換当時、訴外市川市農地委員会は右交換により政府が取得すべき市川市北方向原一八三五番畑六二八歩外三筆の農地の登記名義人が右河野留吉になつていたので、一応交換指示書の表示としては登記簿上の記載に従つて留吉名義により指示書を作成して同人の相続人である河野与吉に交換を指示したところ同人は右交換に応じた。したがつて右交換は実質的には河野与吉に対してなしたものであつて、死亡者である河野留吉を相手方としてなしたものではない。

(3)のみならず、原告は本件買収処分の無効を前提とせずして右交換替地による所有権譲渡処分の無効確認を求める訴の利益を有しない。原告はこの点につき農地法第八〇条、第一項の売払に関する規定を根拠としているけれども、別紙物件目録記載の各土地は政令で定める自作農の創設又は土地の農業上の利用の増進の目的に供しないことを相当と認むべき事情になく、右規定による農林大臣の認定もないから、原告の右主張は失当である。

と述べ、

立証(省略)

理由

市川市北方浅間前八五一番畑一反八畝七歩、同所八五四番畑一反五畝二七歩内畦畔一歩の土地につき、昭和一〇年三月一二日登記簿上訴外松丸益雄から訴外西村政二郎に対し同日付売買による所有権移転登記がなされていること、その後昭和一五年一〇月八日右二筆の土地が合筆されて市川市北方字浅間前八五一番畑三反四畝四歩内畦畔一歩となり、ついで同月二八日更に之が分筆されて別紙物件目録(イ)乃至(ヘ)の六筆の土地となつたことは当事者間に争いない。

原告は、右土地は原告の先代西村辰造が訴外松丸益雄から買受けたものであつて、その真実の所有者は右西村辰造であつたところ、その後家督相続により原告がその所有権を取得したと主張するので、先ず此の点につき判断するに、前記争いない事実に、(証拠省略)を綜合すると、前記市川市北方浅間前八五一番畑一反八畝七歩、同所八五四番畑一反五畝二七歩の土地はもと訴外松丸益雄の所有であつたところ、昭和一〇年三月一二日原告先代西村辰造が右松丸益雄から之を代金二〇四〇円で買受け、その代金も辰造自からが支払つたこと、そして前記昭和一〇年三月一二日付売買により登記簿上の所有名義人となつた訴外西村政二郎は、辰造の実弟であるが、同人は明治三七年頃アメリカ合衆国に渡り引き続き同地に居住していたものであつて、昭和一〇年三月当時には日本に居住しておらず、右売買については何等の関係もなかつたこと、ところで右辰造の買受けた土地には、当時訴外山下彦太郎がそのうち八五一番畑一反八畝七歩を、又訴外福田福次郎が八五四番畑一反五畝二七歩を、それぞれ前所有者から借り受け、同地上に梨の木を植えて之を小作していたが、辰造は右土地を買受けた当初から将来右梨の木を収去して土地の明渡を求めようと考えていたところ、前記山下、福田の両名は辰造と同一市内に居住し、互に顔見知りの間柄であつたところから右土地を自己名義で買受けた上、直ちにその明渡を求めることには困難を感じたこと、そこで辰造は右明渡を求める際の便宜やその他税金関係等も考慮して、前記実弟の政二郎には何等の相談もせず、甲第三号証の売渡証の買受人を形式上右政二郎名義にし、又売買による所有権移転登記も同人名義に之を経由したこと、そしてその後辰造は右買受けた土地の真実の所有者として自から之を管理使用し右土地に対する税金もすべて実質的に辰造が負担していたこと、又昭和一五年一月には前記小作人山下・福田両名と交渉し、山下に対しては金五四〇円を、又福田に対しては金四七七円を各支払つて右梨の木を収去させ、以てその土地の明渡を求め、ついで同年一〇月には右買受けた土地の合筆及び分筆の申請をして前記認定の通り別紙物件目録記載の各土地に分筆をし、更に昭和一六年頃には別紙物件目録記載の各土地につき、訴外山野文作・同松丸清一、斎藤某と小作契約を結んで同人等に右土地を小作させ、自からその小作料を徴収していたこと、従つて右松丸・山野も右土地の買収問題が起こる迄はその真の所有者が西村辰造であることについて何等の疑ももつていなかつたことが認められ、他に右認定を覆するに足る証拠はない。

以上認定の事実からすれば、別紙物件目録記載の各土地は、昭和一〇年三月一二日原告の先代西村辰造が前所有者松丸益雄から之を買受けて所有するに至つたもので、その登記簿上の所有名義如何にかかわりなく真の所有者は右辰造であつたと云うべきところ、その後右辰造は昭和二〇年三月一四日死亡し、原告がその家督相続をしたことは当事者間に争いがないから、原告は右家督相続により別紙物件目録記載の各土地の所有権を取得したと云うべきである。

次に訴外千葉県知事が、右認定の如く真実は原告の所有にかかる別紙物件目録記載の各土地につき、昭和二五年二月二八日、その登記簿上の所有名義人となつていた訴外西村政二郎を被買収者として同人に対し、右土地を自創法第三条第一項第一号の不在地主の所有する小作地として昭和二二年七月二日を買収の時期とする買収処分をなしたこと、ついでその後右買収にかかる土地のうち、被告国から(1)別紙物件目録(イ)の土地については昭和二三年七月二日付をもつて被告吉野績に対し、(2)別紙物件目録(ロ)の土地については昭和二三年七月二日付をもつて被告松丸藤松に対し、(3)別紙物件目録(ハ)の土地については昭和二三年一〇二日付をもつて被告監物正三郎に対し、(4)別紙物件目録(ニ)の土地については昭和二三年七月二日付をもつて被告松丸武久に対し、(5)別紙物件目録(ヘ)の土地については昭和二三年一〇月二日付をもつて被告石井俊雄に対し、(6)別紙物件目件(ホ)の土地については昭和二四年七月二日付をもつて訴外河野留吉に対し、それぞれ自創法第二三条に基く交換替地による所有権の譲渡処分がなされたことは当事者間に争いない。

そこで右買収処分及び交換替地による所有権譲渡処分が原告の主張する如く無効であるか否かについて判断する。

一、先ず原告は地元市川市農地委員会において右買収処分の前提となる買収計画を樹立していない、仮りに樹立したとしてもその公告及び書類縦覧の手続をしていない旨主張するので、この点につきしらべてみるに、(証拠省略)を綜合すると、訴外市川市農地委員会は、別紙物件自録(イ)、(ロ)の土地の小作人山野文作及び同(ハ)(ニ)(ホ)(ヘ)の各土地の小作人松丸清一両名の提出した農地申告書に基づき、調査の上右各土地は不在地主西村政二郎の所有する小作地であると認めて、昭和二二年六月四日その他の小作人から申告のあつた他の不在地主の所有する小作地と共に一括して自創法第三条第一項第一号により、之を買収するための買収計画を樹立すべく農地委員会を開き同日農地委員九名が出席して同年七月二日を買収の時期とする買収計画を樹立する旨の議決を適法にしたこと、そして同日その旨を公告すると共に同月一〇日から同月二〇日迄関係書類を縦覧に供したか、右樹立した買収計画についてはそのうち訴外西羅光造の所有土地に対する買収計画につき同人から不在地主ではないとの理由で異議訴願の申立があつた外は、原告からの勿論のこと何人からも異議の申立がなかつたので、同年七月二日訴外千葉県農地委員会の承認を得て同日右買収計画の確定したことが認められる。

尤も、証人斎藤実の証言により成立の認め得る乙第二号証(原告提出の検甲第一号証は之と同一のもの)の昭和二二年六月四日付市川市農地委員会の議事録によれば、同議事録には同日右農地委員会が前記認定の買収計画を樹立するについての議事を開いた旨の記載は、ないけれども、前掲各証拠によれば前記認定の買収計画は市川市農地委員会として樹立した最初のものであつて事務的に不慣れなときであり、又当時右農地委員会における事務職員の数も少なく事務的基礎が不完全であつた上、県からは買収計画を早急に樹立するよう強く催促されていた関係もあつて、正規の農地委員会が開かれた際にも完全な議事録を作成することの出来ない状況にあつたこと、従つて前記昭和二二年六月四日なされた買収計画樹立の議事についても、当時の事務職員がその旨を議事録に記載することを脱漏したに過ぎないことが認められるから、前記乙第二号証に右議事の記載のないことは何等前段認定事実にていしよくするものではなく、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

してみれば訴外市川市農地委員会は適法に別紙物件目録記載の土地につき買収計画を樹立し、その旨公告すると共に関係書類を縦覧に供したものと云うべく、此の点に関する原告の主張は理由がない。

二、次に別紙物件目録記載の各土地が自創法第五条第四号の規定による買収除外の農地であつたか否かについて判断するに、右土地が昭和一三年一一月一九日付千葉県経済部長より第八二号をもつて市川市長に対してなされた「市川市都市計画地域指定の件」と題する通知書及び右書面添付の図面により指定された都市計画区域内の土地であることについては当事者間に争いなく、又昭和一七年五月八日内務省告示第三〇五号「市川市都市計画地域追加指定の件」と題する通知書及び添付の図面により都市計画に指定されている範囲内にあることについては被告等の明らかに争わないところであるが、右各土地につき千葉県知事が現実に自創法第五条第四号の規定による指定をしたことについては之を認めるに足る証拠はなく従つて右指定はないと云わなければならない。

ところで自創法による農地買収処分の取消、変更又は無効確認訴訟において、右処分の実質上の違法無効の判断は、買収令書の交付により買収処分の効力が生じたときの事実状態を基準としてなすべきものと解するを相当とする。蓋し知事は買収計画が確定しても買収令書を発行する迄に買収処分の要件たる事実状態に変動があつて買収処分を行うことが違法であると判断したときは買収令書を発行しないことが出来ると解せられると共に、一旦発行した買収令書が何等かの故障のため被買収者に交付することができないまま長年月を経過し更にこれを交付して効力を発せしめんとする場合には、その間に買収処分の要件たる事実状態に変動があるかどうかを確め、これあるときは買収令書を交付すべきではなく、これなきときにのみ買収令書を交付して買収処分の効力を発生せしむべきものであるからである。しかして右買収令書交付当時(買収処分時)において、当該買収農地が都市計画法の規定による土地区画整理を施行する土地の境域内にあり、かつ知事が当時一般的・外部的に表示した行為により右土地区画整理を施行するため当該農地を自創法により直ちに売り渡す意思がないものと明らかに認められる場合においては、知事は自創法第五条第四号の指定をすべきであり、仮りに形式上右指定がない場合においてもその指定があつたものと同視すべきである。よつて更に進んで検討するに別紙物件目録記載の各土地についてはその後昭和二四年三月一五日千葉県告示第一五五号により所謂売渡保留地域に指定されたことは当事者間に争いなく、又一方本件買収処分は、(証拠省略)訴外千葉県知事は市川市農地委員会の樹立した買収計画に基づき買収処分をなすべく、右買収の時期である昭和二二年七月二日か又はその後間もなく買収令書を作成して之を被買収者である訴外西村政二郎に交付しようとしたが、同人の所在が不明で右交付ができなかつたため、昭和二五年二月二八日に至つて右買収令書の交付に代えて千葉県報に公告した経過であることが認められるから本件買収処分の効力は前述の通り昭和二五年二月二八日に生じたものと云うべく、従つて前記売渡保留地域の指定は本件買収処分の効力が生ずる以前即ち買収処分の実質上の違法無効を判断する処分時以前になされたものと云わなければならない。

しかして右売渡保留地域の指定は、自創法施行規則第七条の二の三の規定により「都市計画法第二条による都市計画区域内にあり、又は同法第一六条第一項の施設に必要な土地の境域内にあり、且つ、自創法第三条の規定により政府の買収した農地で都道府県知事が別に定める基準により指定」するものであつて、要するに都市計画区域内にある政府の買収した農地につき、土地区画整理を施行し、又はその使用目的を変更するを相当とする等所謂自作農の創設に供しないのを相当とすることが予定される場合になされると解せられるところ、これを本件についてみるに、前述の通り別紙物件目録記載の土地が本件買収当時都市計画区域内にあつたことは当事者間に争いなく、又(証拠省略)右土地については、市川市農地委員会が買収計画を樹立した昭和二二年当時、既に将来略、確実に土地区画整理の施行されることが一般的に予想されており、そのために右各土地の小作人であつた山野文作、同松丸清一等も、本件買収前から右土地が買収されても小作人に対する売渡の対象にはならないと聞知していたので、その後敢て右買収にかかる土地の買受希望の申込をしなかつたことが認められるし、更にその後本件買収処分がなされた後、右土地につき現実に土地区画整理が施行されて右土地の使用は禁止され、目下その仮換地の使用のみが許されていること、及び現在右買収にかかる土地の一部が市川市々道の敷地の一部となつていることについてはいずれも当事者間に争いない。してみれば前記売渡保留地域の指定はまさに自創法第五条第四号に「所謂都市計画法第一二条第一項の規定による土地区画整理を施行する」ことを予定してなされたものと云うの外はない。

以上の如く別紙物件目録記載の各土地については本件買収計画が樹立された当時から既に都市計画の指定区域内にあつて将来土地区画整理の施行されることが一般的に予想されていたばかりでなく、未だ現実に買収処分の効力が生ずる以前、即ち買収処分前に、知事が都市計画法の規定による土地区画整理を施行することを予定して売渡保留地域の指定を現にした以上、(右売渡保留の指定が有効であるか否かは別として)、知事はそれまでに既に買収令書を作成していたが、未だその交付ができず現実に買収処分の効力が発生していない右宅地につき、すみやかに、自創法第五条第四号の規定による買収除外の指定をすべきであつて、仮りに形式的に右指定をしなかつたにしても、その指定があつたと同様に解するを相当とする。従つて本件買収処分の当時別紙物件目録記載の各土地は自創法第五条第四号の規定による買収除外農地であつたと解すべきである。

よつて本件買収処分は自創法第五条第四号の規定に違反してなされた瑕疵があり、又前記認定事実に照らし右瑕疵が明白且つ重大であることは勿論であるから、本件買収処分は原告主張のその余の点につき判断するまでもなく当然無効と云うべく、又右買収処分の有効なることを前提にしてその後になされた被告国、同河野はつを除くその余の被告五名及び訴外河野留吉に対してなされた前記自創法第二三条に基く交換替地による所有権の譲渡処分も、当然無効であつて、別紙物件目録記載の土地は現に原告の所有であると云わなければならない。

次に、

(1)、被告吉野績が別紙物件目録(イ)の土地につき、千葉地方法務局市川出張所昭和二五年六月一六日受付第三〇七二号並びに同三四年一月二四日受付第七九二号(嘱託錯誤に基づく更正付記登記)を以て、昭和二三年七月二日付自創法第二三条に基づく交換替地による所有権の取得登記を、

(2)被告松丸藤松は別紙物件目録(ロ)の土地につき、同出張所昭和二五年六月一六日受付第三〇七七号並に同三四年一月二四日受付第七九六号(嘱託錯誤に基づく更正付登記)を以つて、昭和二三年七月二日付自創法第二三条に基づく交換替地による所有権の取得登記を、

(3)被告監物正三郎は別紙物件目録(ハ)の土地につき、同出張所昭和二五年六月一六日受付第三〇七二号並に同三四年受付第七九三号(嘱託錯誤に基く更正付記登記)を以つて、昭和二三年一〇月二日付自創法第二三条に基く交換替地による所有権の取得登記を、

(4)被告松丸武久は別紙物件目録(ニ)の土地につき、同出張所昭和二五年六月一六日受付第三〇七五号並に同三四年一月二四日受付第七九四号(嘱託錯誤に基く更正付記登記)を以つて、昭和二三年七月二日付自創法第二三条に基く交換替地による所有権の取得登記を、

(5)被告石井俊雄は別紙物件目録(ヘ)の土地につき、同出張所昭和二五年六月一六日受付第三〇七二号並に同三四年一月二四日受付第七九一号(嘱託錯誤に基く更正付記登記)を以つて、昭和二三年一〇月二日付自創法第二三条に基く交換替地による所有権の取得登記を、

各経由していること、又、

(6)別紙物件目録(ホ)の土地については、訴外亡河野留吉が、同出張所昭和二六年六月一三日受付第三七二一号並に同三四年一月二四日受付第七九五号(嘱託錯誤に基く更正付記登記)を以つて昭和二四年七月二日付自創法第二三条に基く交換替地による所有権の取得登記を経由し、ついで同人の死亡により訴外亡河野与吉が、同出張所昭和三一年八月二九日受付第七四七四号を以つて同一八年八月二〇日付家督相続による所有権の取得登記を経由し、更に右与吉が死亡し被告河野はつが同出張所昭和三四年二月九日受付第一五七八号を以つて同三三年一二月八日付相続により所有権の取得登記を経由していること、

以上の事実はいずれも当事者間に争いないところ、右各登記は前述の通り、その前提である自創法第二三条に基く交換替地による所有権の譲渡処分が無効であるから、すべて実体上の権利をともなわない無効の登記と云わなければならない。そして訴外河野留吉が昭和一八年八月二〇日死亡して訴外河野与吉が家督相続によりその権利義務を承継し、ついで右与吉は昭和三三年一二月八日死亡して被告河野はつが相続によりその権利義務を承継したことは当事者間に争いない。

よつて被告国を除くその余の被告六名は別紙物件目録記載の土地の所有者たる原告に対し、右各登記の抹消登記手続をすべき義務あるものと云わなければならない。

次に本件買収処分及び交換替地による所有権譲渡処分にかかる別紙物件目録記載の各土地は、現在土地区画整理法による区画整理が施行されており、従前の土地の使用は禁止されてこれに対する仮換地の使用が許されていること、被告吉野績が別紙物件目録(イ)の土地の仮換地を、被告松丸藤松が別紙物件目録(ロ)の土地の換地を、被告河野はつが別紙物件目録の土地の仮仮換を、被告石井俊雄が別紙物件目録(ヘ)の土地の仮換地をそれぞれ占有耕作していることは当事者間に争いないところ、右被告吉野績、同松丸藤松、同河野はつ、同石井俊雄はいずれも右占有土地の占有権原につき、従前の土地の所有権を主張するのみであつて、賃借権その他による占有権原については何等の主張立証しないし、又右仮換地の従前の土地の所有権は原告にあつて右被告等にないことは前段認定の通りであるから、右被告四名は原告に対抗し得る何等の正権原もなく不法に前記土地を占有しているものと云うべく、よつて同被告等は原告に対し、それぞれ右各占有土地を同上の耕作物を収去して明渡す義務があると云わなければならない。

次に原告は被告国との間において第一次的に本件買収処分の無効のみを前提にその後別紙目録記載の各土地につきなされた自創法第二三条に基づく交換替地による所有権譲渡処分の無効確認を求めているが、右土地に対する買収処分が無効であれば、国はその土地の所有権を取得しないから、その後右買収にかかる土地につきなされた交換替地による所有権譲渡処分も当然無効となり、従つて国及び関係行政庁並びにその他の利害関係人は買収処分無効確認の判決が確定すれば、交換替地による所有権譲渡処分をもその無効確認判決をまつまでもなく当然無効として取扱わなければならない。よつて原告は本件買収処分の無効確認と併せて買収処分の無効のみを理由に交換替地による所有権譲渡処分の無効確認を独立に求める訴の利益を有しないものと云わなければならない。(尚原告は予備的に農地法第八〇条による売払資格のあることを前提に被告監物正三郎及び訴外河野留吉に対する各交換替地による所有権譲渡処分の無効確認等を求めているが、右請求は本件買収処分の無効確認が認められない場合に予備的に求める趣旨であると解せられるところ、本件においては前記の通り本件買収処分の無効が認められるから、右予備的請求につき判断をする必要はない。

よつて原告の本訴請求のうち、別紙物件目録記載の各土地につきなされた交換替地による所有権譲渡処分の無効確認を第一次に求める部分は不適法であるから訴を却下しその余の原告及び被告国間において別紙物件目録記載の各土地につきなされた本件買収処分の無効確認並びに原告及び被告国を除くその余の被告六名間において主文第三項記載の通り別紙物件目録記載の各土地が原告の所有なることの確認を求め、且つ、右所有権に基づき被告国を除くその余の被告六名に対しそれぞれ主文第四項記載の通り各登記の抹消登記手続を、又被告吉野績、同松丸藤松、同河野はつ、同石井俊雄に対して前記各占有土地の明渡を求める各請求はいずれも正当であるから之を認容し、訴訟費用につき民事訴訟法第九二条を適用して主文の通り判決する

千葉裁判所民事部

裁判長裁判官 後 藤  勇

裁判官 高 瀬 秀 雄

裁判官 遠 藤  誠

物件目録(省略)

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